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ホワイトバランス [雑感]

デジタルカメラの用語に「ホワイトバランス」というのがあります。

カメラがご趣味の方には耳なじみがあると思います。

カメラで被写体を写すときに、白いものが白く写るように補正を行う機能のことをホワイトバランスといいます。

被写体は、太陽の光や蛍光灯などの光源からの光を反射して、目やレンズに写ります。

そのため光源の色が違えば、目に写る色も違って見えることになります。

人間の目はよくできていて、白いものは白と認識するため、どんな被写体であっても自然な色合いとしてとらえますが、カメラのような機械はそうはいきません。

雪原を写した写真が青っぽく写ったり、電球の下で撮影した料理がオレンジっぽく写ることがあるのはそのためです。

そこでホワイトバランスの調整が必要になります。

カメラには「オートホワイトバランス」という設定があり、とりあえずオートにしておけば自動調整してくれますが、補正が上手くいかないときには「晴天」や「曇天」「蛍光灯」「電球」などの中から手動で設定することになります。


同一の被写体なのに条件によって見え方が変わるなんて、おもしろいですね。

まるで人間の心のよう。

ひとつだけの事実なのに、眺める人によって見え方がまったく変わってしまうことがある。

人間もホワイトバランスの調整ができたらいいのに。

光源の設定を「自分」から「相手」に変えてみたら、違った見え方ができて、相手のことを少しは理解できるようになるかもしれませんね。

まあ人間なら少し修業を積むことで、そんな洞察力を身に付けられるようになるかもしれませんが、なかなか道は険しいですね。

ついつい自分の見え方を主張したりしたくなってしまいます。

主張とまではいかなくても、相手にわかってほしいと説明に説明を重ねてしまうことがありますよね?


………


あ、いけない。


沈黙は金


でしたね。


よくドラマとかで、登場人物の気持ちがすれ違う場面がありますね。

特に恋愛ドラマとかではよくある設定で、見ているこちらとしてはハラハラドキドキの連続だったりします。

主人公の言動の間(ま)が悪かったためにヒロインに誤解されてしまい、恋敵に奪われてしまう場面なんて「ああ、そうじゃないのに~」「彼が好きなのは彼女じゃなくてあなたなのよ~」なんて、つい見入ってしまいます。


あれって、ドラマだから成立するんですよね。

こちら側で見ている視聴者が楽屋裏まで含めて事情を分かっているからこそ、安心して、あるいは共感して楽しむことができるわけです。

でも現実の世界では、誤解によってねじれた人間関係はどこまで行ってもねじれたまま。

脚本家が最後に都合よく種明かしをしてくれることなんてありません。


切なく悲しい、そして残酷ですね。

小説ならエピローグで、映画ならエンドロールできれいに収めてくれるでしょうに、現実の人生ではお互いに誤解したまま、時には悲しみを抱きながら、時には憎しみを抱えながら、人生を終えるのです。

ボタンを掛け違えたまま、一生を離れ離れに暮らすことになった人だって星の数ほどいたでしょうし、この先もそうでしょう。


私自身もこれまでに、そんな思いをたくさんしてきています。

私より人生経験の長い教室の皆さんなら、なおさらかもしれませんね。

いつか機会があったら、どのようにしてその寂しさを乗り越えてきたのか、ご教授いただければと思います。

お酒でも飲みながら(苦いお酒になりそうですね)。


ちなみに今の私の境地では、こんなふうに受け止めようと努めています。


前提として、どんなに努力をしたところですべての人から受け入れられることなどあり得ません。

だからどんな人でも、職場など外側の世界ではそのようによそ行きの顔で振る舞っているでしょう。

そうやって仮面をかぶって、なるべく軋轢を生まないように過ごすのは、大人の知恵だと思います。

そりゃそうですよね。

みんながみんな、思っていることを我慢せずに口にし出したら、世の中大混乱(笑)


とは言え、人生のすべてを仮面をかぶって過ごすわけにはいきません。

だからせめて自分が大切に思う人の前では本音で語りたいし、誤解なく受け入れてほしいと願います。

たとえ内容的には受け入れがたい、理解しがたいことであったとしても、心情的には受け止めてほしい。

少なくとも邪気を捨てて、理解しようと耳を傾けてほしい。

どちらが正しいのかを競うのではなく、相手を理解し一致点を共に探ってほしい。


けれども前回書いたように、どんなに真心を込めて説明に説明を重ねたとしても、受け入れてもらえることは梅雨の晴れ間を探すぐらい難しいのかもしれません。


だから、こう思おうと思います。


自分の心の声に従って振る舞った結果が図らずも不調和を招いたときには、自分の中に不足だった部分はないか、不誠実だった部分はないかをまずは振り返ってみようと思います。

前回の件で言えば、パソコンの設定をするのに最善の努力をしたか?

手を抜いたりはしなかったか?

意地悪な気持ちや悪意からではなく(それが結果的に間違っていたとしても)善意から、相手のためを思ってしたことなのか?


その上で自分は精一杯やった、良心に照らして恥ずるところはないと胸を張れるのであれば、あとのことは相手に委ねてしまおうと思います。

人生でいちばん大切なことは、他人に合わせて波風を立てずに生きることではなく、自分の人生を生きることだと思うからです。

言い訳しながら生きるのにも疲れたしw

結果として誤解されたままであったとしても、いつかわかってもらえる日が来るかもしれないし、来ないかもしれません。

どっちでもいいや(笑)


相手の顔色を気にせずにはいられない私にとってはなかなか困難な道ではありますが、来年は還暦を迎えます。

この世を去る時に後悔しないためにも、自分の人生のハンドルは自分でしっかり握っていなければと思います。

この先の人生が、たとえ願ったものとは違ったものになったとしても、人のせいにすることなく、「でもこれが自分で選んだ道だから仕方なかった。ほかに道はなかった。」と納得できるように生きていこうと、様々な経験を経て思いを強くしている今日この頃です。

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